KIF1Aとは

KIF1Aって何?

 私たちの暮らしは、物流や交通といった「運ぶ仕組み」によって支えられています。農村で収穫された農作物や工場で作られた製品は、鉄道やトラックに載せられて必要な場所へ届けられます。神経細胞の中でも同じように、物を必要な場所へ正しく届ける仕組みがあります。

 その仕組みを担っているのが「キネシン」と呼ばれる分子の運び屋です。キネシンは細胞の中を歩行することで荷物を運びます。人の体には50種類近くのキネシンが存在し、それぞれ異なる荷物を運んでいます。その中でも KIF1A(キフワンエー) は特に重要なキネシンのひとつです。KIF1Aは、神経細胞の末端にある「シナプス」と呼ばれる場所へ、神経伝達に必要な材料を送り届けます。シナプスは神経細胞同士が情報をやり取りする接点であり、脳が考えたり記憶したりするために欠かせません。

 もしKIF1Aが正しく働かなくなると、シナプスに材料が届かなくなり、神経細胞同士の情報伝達が乱れてしまいます。そのため、KIF1Aは脳や神経の健康を保つ上で極めて重要な分子といえるのです。

KIF1A関連神経疾患(KAND)って何?

 KIF1A関連神経疾患は、KIF1A遺伝子の変異や欠損によって神経細胞内の働きが妨げられることで発症する希少な遺伝性疾患です。この疾患が初めて報告されたのは2011年で、日本での正確な患者数は明らかになっていません。世界的には、患者団体 KIF1A.org に約550名が登録されています。

どんな症状があるの?

 主な症状は以下のとおりです。

  • 発達遅延
  • 知的障害
  • 低緊張
  • 痙性対麻痺
  • 末梢神経障害
  • 小脳萎縮:運動失調
  • 視神経萎縮
  • けいれん
  • そのほか:脊椎側弯、胃食道逆流、腎泌尿器系の疾患

 症状やその程度の差はKIF1A遺伝子の変異型に関係があることが知られており、すべての症状が必ずあるとは限りません。

ほかの病気と似ているの?

 KIF1A関連神経疾患は、この病気に特有の症状がはっきりせず、他のよく知られている疾患と似た症状を示すことが多いため、別の病気と診断されることがあります。実際には、以下のような疾患と診断されていたものの、後にKIF1A関連神経疾患であることが分かった例などがあります。

  • 脳性麻痺
  • レット症候群
  • 筋萎縮性側索硬化症(ALS)
  • シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)
  • 自閉スペクトラム症(ASD)
  • パーキンソニズム
  • 小児認知症
  • 白質ジストロフィー(白質変性症)

どうやって確定診断を受けるの?

 KIF1A関連神経疾患に特徴的な症状が少ないため、通常の診察では診断が困難です。そのため網羅的な遺伝子解析(全エクソン解析、全ゲノム解析)で発見されることが多いです。その遺伝子解析の結果と患者さんの症状を総合的に検討して診断が確定されます。

治療法はあるの?

 根本的な治療法は現時点ではありません。
 それぞれの神経症状に合わせた投薬、リハビリ、療育などを継続的に行う必要があります。

家族には遺伝するの?

 KIF1A関連神経疾患のほとんどは、常染色体顕性遺伝機序で発症します(表の上段)。これは両親から1つずつもらった2つのKIF1A遺伝子のうち、1つが病気になると発症することを意味します。つまり、両親のどちらかがKIF1A関連神経疾患であれば、その方のお子さんは50%の確率で同じ病気になります。ただし、実際にはほとんどの場合は突然変異(新生変異、de novoといいます)と言われています。そのため、親子で同じ病気になることは考えにくく、同胞(きょうだい)が同じ病気になる確率も低いです。

 一部のKIF1A関連神経疾患は常染色体潜性遺伝機序で発症します。これは両親から1つずつもらった2つのKIF1A遺伝子が、2つとも病気になっている場合です。この場合、両親それぞれが1つずつ病気のKIF1A遺伝子を持っていることが多いので、次のお子さんには25%の確率で同じ病気がみられます。

遺伝子の変化遺伝形式頻度説明
Aa常染色体顕
ほとんど突然変異が多い
患者さんの同胞が同じ病気になる確率は1%程度
患者さん自身の子が同じ病気になる確率は50%
aa常染色体潜性ごくまれ両親がともに保因者のことが多い
患者さんの同胞が同じ病気になる確率は25%

  • A:正常なKIF1A遺伝子 a:病気になったKIF1A遺伝子

日本ではどんな研究が行われているの?

 KIF1Aは、1995年に岡田康志氏(現・東京大学教授)と廣川信隆氏(東京大学名誉教授)によって発見されました。

 東北大学学際科学フロンティア研究所丹羽グループでは、微小管上のKIF1Aの動きを解析しています。KIF1Aの動きを観察するために、全反射蛍光顕微鏡 という特殊な顕微鏡を用いています。この方法では、ガラスの表面にごく近い場所を明るく照らすことができるため、1分子レベルでKIF1Aが微小管のレールの上を動く様子を直接見ることができます。患者さんが持つKIF1Aを調べてみると、その動きが遅くなっていたり、途中で止まってしまったり、あるいはレールからすぐに落ちてしまったりといった異常が見つかります。こうした分子レベルのKIF1Aの異常が、病気の原因につながっていることがわかってきました。実はこの観察方法は、日本の研究者たちが世界に先駆けて開発したものです。日本で生まれた技術が、今も私たちの研究を支えているのです。
 さらに、丹羽グループでは 線虫 と呼ばれる体長1ミリほどの小さな生き物を使った研究も行っています。線虫は生物学の研究でとてもよく使われてきたモデル生物で、これまでに数々のノーベル賞研究にも貢献してきました。実は線虫もKIF1Aに似た遺伝子を持っています。その遺伝子に異常が起こると、線虫は体をうまく動かせなくなります。これは患者さんの症状とよく似ています。興味深いことに、人の正常なKIF1A遺伝子を線虫に導入すると、再び元気に動けるようになります。このしくみを利用して、患者さんの持つKIF1Aの異常が神経細胞の働きにどのような影響を与えるのかを詳しく調べています。

 また、東京大学・吉川雅英教授の研究室では、KIF1Aをはじめとする動く分子の原子構造をX線結晶解析やクライオ電子顕微鏡で研究しています。

 その他、日本ではKIF1Aの解析に関するさまざまな研究が行われています。詳しい取り組みについては、リンク集にある各研究室のページをご覧ください。

世界ではどんな研究が行われているの?

ボストン(アメリカ合衆国)

ウェンディ・チョン医学博士(MD, PhD)は、臨床および分子遺伝学の専門家であり、ボストン小児病院およびハーバード大学医学部において小児科部長を務めています。

チョン博士は、KIF1A.ORGの設立当初からKIF1A関連神経疾患の支援に尽力しており、彼女のチームは自然史研究やASO療法の開発など、主要なプロジェクトを推進してきました。

KIF1A自然史研究は、KIF1A関連神経疾患における症状を標準化して記録する、最大規模の研究です。この研究では、これまで十分に調査されてこなかった症状の特徴を明らかにするだけでなく、臨床試験において治療効果を測定するための評価指標(エンドポイント)を特定するうえでも重要な役割を果たしています。

2025 KIF1A.ORG Conference:
KAND Clinical Research Updates, Dr. Wendy Chung
Movement in KAND, Dr. Darius Ebrahimi Falnikar
Vision in KAND, Dr. Mary Whitman

ボストン(アメリカ合衆国)

ジェニファー・ベイン医学博士(MD, PhD)は、コロンビア大学医療センターの神経内科および小児科の准教授です。現在はコロンビア大学で医師科学者として、一般小児神経学を専門に、発達・行動神経学、自閉スペクトラム症、脳性麻痺の診療と研究に従事しています。ベイン博士は長年にわたりKIF1A関連神経疾患の研究と治療を支援しており、現在は初の2例のASO治療を実施しています。

Susannah and Sloane’s ASO Journey, Dr. Jennifer Bain, 2025 KIF1A.ORG Conference

メルボルン(オーストラリア)

シムラン・コール博士は、MCRI(マードック小児研究所)およびメルボルン大学の若手研究者・チームリーダーです。博士はチームとともに、KIF1A.ORGKIF1A.AUを含む国内外の共同研究者と連携し、KIF1A関連神経疾患の研究を加速するためにオーストラリア初のKAND研究プログラムを主導しています。コール博士のグループは、FDA(米国食品医薬品局)承認済み化合物のスクリーニング、KIF1Aミニ遺伝子の開発、そしてKAND家族の生活経験を学術文献に反映させる取り組みなど、複数の重要分野を前進させています。

Australian Research Updates, Dr. Simran Kaur, 2025 KIF1A.ORG Conference

メルボルン(オーストラリア)

アンジェラ・モーガン教授(写真・左)とロッティ・モリソン氏(写真・右)は、マードック小児研究所の CRE 言語障害トランスレーショナルセンターおよびメルボルン大学に所属する言語聴覚士です。彼女たちの研究は、KIF1A関連神経疾患を含む希少遺伝性疾患における発話と言語に焦点を当て、KAND当事者とその家族のコミュニケーションの向上と生活の質(QOL)の改善を目指しています。2025年には KIF1A.ORG と協働し、世界各地の40家族以上が参加した、KANDに特化した初のコミュニケーション研究の論文を発表しました。

Speech in KAND, Lottie Morison, 2025 KIF1A.ORG Conference

コロラド州(アメリカ合衆国)

ジェイン・エイケン博士(PhD)は、工学・細胞生物学・神経科学にまたがる学際的なバックグラウンドを持つ研究者です。エイケン博士は、さまざまなKIF1A変異がタンパク質機能に及ぼす影響を研究し、変異ごとにみられる症状の多様性を理解するうえで重要な知見を提供してきました。

また、ジャクソン研究所が設計した遺伝子改変iPSC(誘導多能性幹細胞)細胞株に採用するKIF1Aバリアントの選定で、主要なアドバイザーとして貢献しました。

Heterogeneity in KAND Variants, Dr. Jayne Aiken, 2025 KIF1A.ORG Conference

カリフォルニア州(アメリカ合衆国)

NeuCyteは神経疾患モデリングを専門とする神経科学の研究企業で、KIF1A.ORGと協力し、KAND患者由来のニューロンを用いたKANDの薬剤スクリーニングプラットフォームを構築しました。

患者から提供された血液サンプルを用いて、NeuCyteは誘導多能性幹細胞(iPSC)を作製し、これをニューロンなどのさまざまな細胞型へ分化させています。堅牢な実験系が整った今、候補薬を導入して評価することが可能です。

これまでにNeuCyteは、KIF1A関連神経疾患の細胞表現型として、神経細胞の成長の不足、発作様の電気的異常、RNA発現の乱れを調べてきました。

ボストン(アメリカ合衆国)

JAX(The Jackson Laboratory)のRare Disease Translational Centerは、神経発達障害および神経変性疾患の研究におけるリーダーです。キャサリン・ルッツ(Catherine Lutz)博士の研究室では、希少疾患をモデル化するためにマウスを遺伝子改変しており、KAND研究のためのツール群の開発で並外れた貢献を果たしてきました。これには、KIF1A Research Networkで利用可能なマウスモデルや細胞株が含まれます。

KAND Animal Models and Prime Gene Editing, Dr. Markus Terrey, 2025 KIF1A.ORG Conference

カリフォルニア州(アメリカ合衆国)

n-Lorem は、アンチセンス技術の効率性・汎用性・特異性を活用し、超希少疾患の患者に実験的なASO医薬品を慈善的に提供する米国の非営利団体です。

ASO 療法は、変異型KIF1A遺伝子に結合してその発現を抑制します。これにより、正常なKIF1A遺伝子が本来の機能を発揮できるようになります。その結果、ASO は単一の破壊的な KIF1A 変異(ドミナントネガティブとも呼ばれる)をもつ患者に最も有用である可能性が高いと考えられます。

これらの ASO は、一般集団の一部に存在する一般的で無害な遺伝子変異を認識して結合します。

先駆的な 2 名の患者が ASO 療法を開始しており、そのうち1名の1 年目の結果は 2024 年に公表されました。12名のKIF1A患者が個別審査を経てn-loremプログラムに受け入れられていますが、現在進行中の臨床試験はありません。

n-of-1 ASO Studies for KIF1A, Dr. Laurence Mignon, 2025 KIF1A.ORG Conference

カリフォルニア州(アメリカ合衆国)

SpineXは、脊髄損傷や脳性麻痺などの疾患を持つ人々の運動機能改善を目的とした非侵襲的神経調節技術を開発するバイオテクノロジー企業です。同社の小児向け脊髄神経調節デバイス(SCiP)は、このほど米国食品医薬品局(FDA)から画期的医療機器指定を取得しました。

今年、SpineXはKIF1A遺伝子変異を有する2名の患者を対象に、神経調節技術の8週間パイロット研究を開始し、結果は今年後半に発表予定です。

KAND Neuromodulation Pilot Study, Dr. Parag Gad, 2025 KIF1A.ORG Conference

YouTube動画について
英語での配信ですが、日本語翻訳字幕をONにしてご覧いただけます。



本ページの文章は、次の先生方に執筆協力いただきました。

 吉川 雅英 教授(東京大学大学院医学系研究科)
 丹羽 伸介 准教授(東北大学 学際科学フロンティア研究所)
 森貞 直哉 先生(兵庫県立こども病院 臨床遺伝科)

 ディラン・ヴァーデン博士(KIF1A.ORG 最高科学責任者)